一周回って元に戻った話

また半年くらい更新してなかったのか。
お久しぶりの方、お久しぶりです。

今回は勉強会まっったく関係ないただの近況報告です。

 

2018年の12月にカスタマーサクセスとしてベンチャー企業に飛び込んでかれこれ1年半。当時のエントリはこんな感じ。

 

tommyz91.hatenablog.com

 

あれからまあ、いろいろありました。
いやあ、大変でした。特に去年の後半。
業務量云々じゃなくて、もうね、ストレスがすごくて

 

何が辛いって、飛び込んだ会社、エンジニア組織が機能不全を起こしていたのです。
つまり開発のロードマップが進まない。仮にもプログラミングでおまんま食っていた身、プロダクトの粗が見えることもあるんですが、それが一向に潰れていかない。

 

ところで「衛生要因」という言葉をご存知でしょうか?
主に人事の文脈で使われている言葉で、足りないと不満になるが、一定水準を超えると、それ以上の満足は得られにくいような要因を指します。職場と社員の関係ではお給料が代表的です。
もうちょっとイメージしやすいところでは、「職場からネットがつながる」とかですね。遅すぎるとイライラするけど、超高速だからといって「この会社は最高だ!」とはならない。
逆に「動機付け要因」と呼ばれるのが、あったらあっただけ嬉しい要因になります。

 

 

で、この理論はマーケティングの世界で、プロダクトに応用されることもあります。
新機能は(ニーズにマッチしていれば)動機付け要因。
安定的に運用されていて、バグが少なくて……というのは衛生要因です。

 

これはスタートアップあるあるだと信じているのですが、私がカスタマーサクセスとしてジョインした当時、会社はとにかく動機付け要因を重視していました。
衛生要因は顧客だけでなく、営業や経営層にとっても「あって当たり前」と認識されがち。「コストをかけなければ実現できない」ということを、開発側もうまく説明できていなかったのですね。

 

当たり前ですが、場当たり的な機能追加を繰り返すと、コードは複雑化していきます。徐々にリリース頻度は下がり、肝心の新機能もなかなか表に出せなくなる始末……

 

このような状況で、カスタマーサクセスが顧客に対して取れるアクションは自ずと限られてきます。
その数少ないアクションは、どれを取ってもあまり気持ちのいいものではありません。

 

Moral injuryというと大袈裟かもしれませんが、罪悪感で沈み込むことが増えてきた私は、少しずつ、自分の仕事に集中することもできなくなっていきました。
モニタの前に座ってはいても、思考がぐるぐると回って、「あれ、次って何をやればいいんだっけ?」となることが増えていきました。

それも一日や二日の話ではありません。朝から晩まで定時待ちおじさん状態です。私、こんなに無能だったっけ?

あまりにも生産性が上がらないので、これはおかしいと思い、病院へ。

すると「抑うつ状態」の診断で、休職する運びとなったのでした。

 

と、ここまでがネガティブな話。

 

幸い薬が合っていたのと、精神的な問題に理解のある会社だったこともあり、程なくしてエンジニアとして復帰ができました。

すると、なんということでしょう。
開発組織、以前とは全くの別物に生まれ変わっているではありませんか!

見ている視点が中か外かというレベルではありません。
せっせと優秀なエンジニアを採用し、足りなかった衛生要因にもリソースが割かれ、ご機嫌で建設的なコードレビューが飛び交う……

そこには「チーム」ができていたのです。

 

もちろん課題も少なくありません。特に強力なのが言語の壁。
日本語が喋れないエンジニアもいれば、英語が喋れないエンジニア(私だ)もいる。
もっというと開発以外の社員は英語喋れないメンバーが大多数なので、ビジネス要求のヒアリングや優先度・スコープの交渉など、日本語が喋れないとしんどい仕事も多々あります。

 

一人の開発者としてそんなチームの状況を見ているうちに、久しく忘れていた気持ちが湧き上がってきました。

「このチームのために尽くしたい」

「彼らが大きな価値をデリバリーして、報われる環境を整えたい」

 

そのための手段として、2018年の私はビジネスサイドに飛び込むことを選びました。
営業の論理を理解し、バランスの取れた落とし所を顧客と交渉できるようになれば、もっと周りのエンジニアの力を市場に届けられると思った。

ですが結局それは「相手(=ビジネスサイド)を変えようとする」アプローチに過ぎなかったのかもしれません。

 

2020年の私は、開発チームの中から、同じことを実現しようともがいています。
その仕事は世間では、「エンジニアリングマネージャー」とか呼ばれているようです。

まだまだひよっこで、肩書きも無印の「エンジニア」。
それでも目指すものが言葉として見えた以上、次にすべきことも少しは明確になったのだと思うのです。

 

思えば、開発スキルの習熟もそこそこにマネジメントを求められる空気が、最初の会社を去った理由の一つでした。

結局壮大な回り道だったような気もしますが、「急がば回れ」という言葉もあります。

これまで培ったものが無駄ではないと信じて、精進していく所存です。